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かなしみがいえるとき

皆さん、こんにちは!

 

今日は「ホリスティックマガジン」より、

~かなしみがいえるとき~の前書きをご紹介します。

 

悲しみぬくことそのものに癒す力がある

病気を「克服」するのではなく、

病気とともに生きいのちの力で自然に病気が癒えるように、愛する人の喪失に「打ち勝つ」のではなく、その人の死という現実を受容して、喪失とともに生きることを学ぶ。

そうすれば、こころの傷は自然に癒え

苦しんできた喪失の記憶のまわりに、新しい自分が再生される。

 

「永遠の別れ」(日本教文社エリザベス・キューブラー・ロス

デーヴィッド・ケスラー(著)/上野圭一(訳)より

 

 

ひとりひとりが死を学び、悲嘆を学ぶ。

それが自分の危機を乗り越える大きな力になり、同時に悲しみに苦しむ人を支える力にもなる。

 

「悲しみの中にいる、あなたへの処方薬」(新潮社)

垣添忠生(著)より

 

 

生きることに最も必要なのは「希望」の二文字。

本当の希望は、天から降って来るのではなく

じぶんが味わい尽くした絶望から来る。

 

「信じる力、生きる力」詩集(小学館クリエイティブ

浜文子(著)より

 

 

どんな人もその心の奥底には

消しがたいかなしみを抱いているのだと思えば

そこに敬うという気持ちが生まれてくるものです

 

NPO法人日本ホリスティック医学協会 会長 帯津良一

 

 

 

かなしみのない苦しみ

 

「悲しみ」と「苦しみ」、切り離しようのない人間の感情をあえて分けて考えてみると、「苦しみ」はいくら沈んでも浮き上がることのできない底なしの沼のようであり、「悲しみ」は沈んでもどこかで大海に抜けることができる湖のようでもある。湖につながる「かなしみの海」、そこを別名「悲母観音」と呼ぶのかもしれない。

日本人を真に追い込むのは「悲しみ」ではなく「悲しみのない苦しみ」ではないか。幼児殺害、無差別殺傷。母親殺し・・・。近年多発している若者による凶悪犯罪は報道で知る限りにおいて、彼らの「悲しみ」は限りなくいすく、「乾ききった苦しみ」だけが瘡蓋のようにこびりついている。

幼少期に泣き虫だった僕は13才のある瞬間から十数年間、いっさいの涙を失った。それは、近親者を激しく憎悪し始めたときと一致する。憎しみはかなしみの海へとつながる胸の奥の泉を焼きつくしてしまう作用がある。そして、その憎しみは幼き日のある時期、母親の腕の中で泣きつくすことができず、「悲しみ」を殺すことによって「母なるもの」(山折哲雄がシンポジウムで説かれた「一なるもの」に通ずるかもしれない)と結ばれることなくあいてしまった埋めようもない空間から蔓延るものではないか。数年前、遺書の全文が公開されたミュージシャン尾崎豊は母親の死後いっそう不安定な精神状態となり、およそ5か月でこの世を去る。彼は、母を失った嘆き以上に、そのことによって永遠に「母なるもの」「かなしみ」と結ぶことができなくなってしまった「苦しみ」に打ちひしがれたのかもしれない。

 

日本ホリスティック医学協会運営委員  久保寺 岳

 

 

 

 

死を受容し、希望に向かって一歩づつ考えていくには、その悲しみを告白することで大きな支えになるかもしれません。当サイトでは、様々なカウンセラー・ヒーラー・セラピストが常駐しています。彼らに悲しみを告白し、慈しみを感受することで、きっと希望の光が見えてくることでしょう。

 

 

 

 

 

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